2018年に「学校の話」と題してブログを書いていました。
その続きを久しぶりに書いてみたくなり、まとめも兼ねて
ツラツラと今思うことを書いてみます。
いつもながら長いので、お時間ある時にでも読んでみてください。
2018年の記事は以下です↓
http://yamadanoujou.blog.fc2.com/blog-entry-302.html2年前からわが家は3人とも地元の義務教育を離れ、フリースクールに通っています。
長男ユウサクは中1の2学期から。
(現在は三重県にある愛農学園農業高等学校に在学中)
次男コウサクは小6から。
三男ハルサクは小3から。

ユウサクが不登校になりフリースクールに入学したのがきっかけでした。
不登校の理由で一番大きかったのが、
「中学に入り、なんでこんなに勉強しなくちゃいけないのかわかんなくなった」
それだけじゃなかった。
テレビもゲームもスマホも無いわが家は、子どもたちが差別されやすい。
それも感じていたし、忙しすぎる部活動にも疑問を感じてたユウサクは、
「部活動よりも家の仕事したいから」と言って部活動にも入らず、
そうすると、そこにもまた温度差が出てきて、ソフト差別状態。
「いいよな、部活入ってないと楽だよな」とも言われたり。
中1の夏休み、ユウサクは一人で私たちが以前に居た新得の農場(新得共働学舎)に遊びに行った。
そこでは色んな人たちが共働生活をしながら農場を営んでおり。
手の無い人、引きこもりの人、自閉症の人、それ以外の色んな人たち、、
その中にポンって入った時、ユウサクは差別を感じなかったのだろうと思う。
みんながみんな一緒じゃないけど、お互いを認め合わないと生きにくい。
自然と受け入れ、受け止める空気がそこにはあり、居心地がよかったのだと思う。
帰ってきてから「不登校宣言」が出たのでした。
親としては嬉しかった。
だって自分で決めれたのだから。
その選択が社会的には「不安定な設計図」かもしれない。
まあ、普通の大人はそうみるだろう。
でも、そもそも「フツウ」ってなんだ??
学校には行かず、フリースクールに行く選択をした私たちに学校側は、
「言っている意味が分からない・・」でした。
きっとそう言われると思っていたので、
「私たちのチャレンジを応援してください」と言いました。
で、、最後はしぶしぶ応援してくれましたけど(笑)。
学校が悪いとか、先生がどうとか言ってしまうと対立が起きます。
その対立は決していい結果は生まないと思います。
「こういう選択をしました」でいいと思います。
ただ、よく言われるのが、
「子どもの学びのチャンスを奪うのはよくないと思いませんか?」です。
次男、三男の時には教頭先生に言われました。
義務教育では、保護者が子どもに教育を受けさせなければならないとあります。
でもこれは公共教育だけがその場であるとは言っていません。
公の学校教育だけじゃなくてもいいということです。
だから、学びのチャンスを奪う・・っていう表現は間違った言い方になると思います。
公共教育に合わない子がいても全然おかしく無いし、
その受け皿が圧倒的に少ないことの方がおかしいとさえ思います。
私たちには、同じ町内にフリースクールがあっただけで幸いでした。
恵まれていたんだなあと感謝しています。
フリースクールのことについては最後に書きますね(*^_^*)。

さて、次は次男・三男の話です。
地元の小さな学校が統廃合し、2020年から9年制の義務教育学校が
ここ大沼に誕生しました。
それをきっかけにフリースクールへ行くことを決断。
この決断も大きかったです。
だって、不登校にもなってなくて、新しい学校に通う前に積極的に外れたのですから。
これにはすごく時間をかけて、親子で何度も話し合いました。

でも、子どもはまだ9歳と11歳。
自分で決められる年齢じゃないですよね。
「親のエゴ」と言われたり、そうかもしれないと自信がなくなったこともありました。
でも、子どもたちは最後は「やってみよう!」と自分たちからも言ってくれて、
最後は歩調を合わせて「積極的不登校」に・・。
不登校という言葉自体、最近は間違っているという指摘もあります。
まるでいけないことみたいに感じるからです。
フリースクールとか、ホームエデュケーション、ホームスクーリング、
そういう言葉でいいと思います。
とにかく、とてもとても勇気のいる決断だったと思っています。
1年間くらいは友達に会いたくなったり、学校行事が恋しくなったりもしていました。
ただ、地元の友達とは、ある程度の距離感が今は心地よく、
離れたことで、「学校の友達じゃない友達」として、
今出会い直しが出来ていると感じています。
改めて必要な関係性を取り戻していくには時間が必要だったのかもしれません。
むしろ、少し成長してからの方が、出会い直しもしやすくなるかもしれません。
そこは心配しなくてもいいんだなって最近思いました。
それも、子どもたちが自分たちでちゃんと成長してくれている実感があるのと、
それが自分たちでも分かり始めてて、自信と主張を持てるようになったからだとも
思ってます。親として感じている事です。
それから公共の教育から離れたことで、
「学校任せにするのを止めた」ことも努力できてよかったことでした。
今の学指導要領に対しては、公共教育に通わせているうちは、
どうしても「学校任せ」になってしまいます。
それプラス、部活動や学校イベント、宿題やテスト・・
子どもたちがやらなければいけないことが多すぎて、親がなかなかそこに
入りずらい状況になり、子どもたちが忙しすぎることで、
家族のコミュニケーションが薄くなってきている現況にあるとも思っています。
それが全部なくなった時(フリースクールは宿題もテストもほぼなし)、
「親が出る幕」が出来たんです。
出来たって変ですが、、
「あ、これ、何かしないと。何ができるだろう??」って考えるようになりました。
フリースクールの先生とのコミュニケーションも増え、
今子どもたちがはまっているスノーボード、スケボー、釣り・・
ほぼ勉強とは関係ないことに(笑)、一生懸命関わることが出来るようになりました。

私たちは農家なので、いつも忙しくしていましたが、
学校任せを止めたら、親がちゃんと子どもと向き合ってやらなければいけない必然性を
感じたのです。私たちも鈍感なので、そうしないと分からなかったのかもしれません。
よく言うのは、中学生になると、子どもたちが忙しくなり親が関われることが少なくなる・・
それって、よくよく見てると、学校に縛られて家族のコミュニケーションの時間が少なくなっている
だけのような気がします。だから中学生で強い反抗期が来たりするのかなとも思います。
中学生になると、力も付き、家の仕事(農作業など)では、母親よりもできることが増えます。
むしろ、一緒に仕事をしていることで親が年取ってきたことを子どもも実感します。
これが大事なのかもしれないなと思います。
子どもは親を労ってくれるし、手伝ってくれます。
反抗よりも労わってくれている気がします。
それをいいことに、私は最近20キロ以上あるものは子どもたちに
持ってもらうことにしています、持てるのに(笑)。
私の実家は普通のサラリーマン家庭で、母親は教師でした。
共働きでいつも忙しく、親は親、子は子で、勝手に過ごしていた気がします。
友達といつも一緒に居たので寂しいと思ったこともあまりないと思っていました。
でも、親との関係は希薄で、もしかしたらあの時の義務教育期間が関係していたのかも
しれないなと今思います。
そして、学校に行くことが当たり前だと思っていたし、
みんなと同じようにしないと差別されるから、いつも同じようにしていました。
イジメも多い小中時代だったので、あまりいい思い出もなく、
いつも居心地の悪さを感じながら過ごしていた気がします。
今では考えられないくらい大人しい子でした・・(笑)。。
だから、子どもたちと公共教育から離れるって決めた時、
親の方がスッキリしていました、本当に。

山田農場も、まったく独自路線の農場です。
開拓、開墾から始まり、いつもその延長にあるような、
責任を感じながら、でも自由で、自分たちの正しいと思うことをやっていきたい農場で
いようといつも思って営農しています。
親が自由なのに、子どもだけそうではない選択を押し付けるのも違いますよね。
子どもたちも自由でいいと思います。
ただ、まだ小さいと自分たちでは決められないので、一緒にいっぱい話し合って、
選んでいっていいと思っています。
長くなりましたが、今思う「学校」について書きました。
また追記があるかもしれませんが、今回はここまでで。

(一昨年のクリスマス会の様子。英語劇をやりました)
現在通っているフリースクールの情報です。
「チーフーキリスト教学園」小2~高2まで、全校6名が現在。
教師は週1日だけの先生も含めて6名。
週休3日。火曜日~金曜日が登校日。
9時スタート、14時半ころ終了。
宿題、テスト、部活などほぼなし。
給食あり、学費は必要です。
クリスチャンでなくても入学できますが(山田家もクリスチャンではないです)
教師は全員クリスチャンで、キリスト教の精神に基づいた学校教育を行っています。
朝は礼拝とバイブルタイムがあり、聖書に触れる時間が毎日あります。
食堂で作ってくれるホカホカの給食はめっちゃ美味しいです(笑)。
隔週の土曜日にはチーフー子ども食堂も開催されています。
〒041-1111 七飯町本町6-7-31
0138-64-4177
もしご興味ある方は繋ぎますので山田までお問い合わせいただいても大丈夫です。